ヨヨギ産のブログ

明日になったら、今日は過去。

「いい人戦略」より「器のデカい人になる」

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photo by Sagrado Corazón

「いいひと戦略」みたいな論調が少し盛り上がっていますなあ。


「いいひと」が得をする社会になってきたのか? - 文人商売


「いい人戦略」の「いい人」とは、偽善者のことではない。 - (チェコ好き)の日記

「いい人は得をする」
それはそうかもですね。

かといって「人より得をしたければ、いい人になれ」というのは
「なんかおかしいなそれ?」になっちゃいます。

だって「人よりも得をしたい人」って、いい人な感じではないですもんね。


「いい人戦略」という言葉も、かなり自己矛盾をはらんでいます。

「戦略的に『いい人』であろうとする人」って、全然「いい人っぽくない」。

そもそも「人との関係性に『戦略』を用いようとする人」って、
全く「いい人っぽく」ない。


「いい人」って「どうすれば『いい人』になれるの?」みたいな発想からは
決して生まれないんでしょうね。

むしろ「いい人になろうなんて思わない人」は
「いい人になりたい人」よりも、いい人になりそうな気がします。

そもそもなぜ人か「いい人になりたい」と思うのかというと
「今の自分は『いい人』じゃないからヤバイ!」という
「不安・焦り」というネガティブな気持ちから
そういう発想になっていることが多いのでは?と思います。

「いい人」より「器のデカい人」になりたい

そもそも「いい人」という言葉って
あいまいで、よくわかりません。

本当にみんなが目指しているのは「器のデカい人」なんでしょうね。

どんなに理不尽なことがあっても、ニコニコ笑ってられる。
うまくいかなくても、ニコニコして続けられる。
どんなに非難されても、ニコニコ笑ってられる。
だまされても、ニコニコ笑ってられる。

どんなにおかしなことがあっても
「おかしいじゃあないか!」なんて激昂しない。

どんなに困難なことが起こっても、いつもどおり冷静でいられて、
他人を攻めたり、状況に文句を言ったりせずに
「まあたいしたことじゃあない」とニコニコできるかどうか。

「器の大きい人」のわかりやすい例としては
白隠禅師」の「赤ん坊」の逸話がありますね。

禅2-白隠禅師

こんな行動ができるのって、並大抵ではありません。
「小手先の戦略」で、どうこうできるものではないでしょう。
だからこそ、白隠さんはたくさんの人から慕われ、
後世にまで逸話が残っているのです。

「いい人戦略」を練っている暇に、
「どうやったら器がデカい人になれるか」を
考えたほうがよさそうです。

ま、これも、自分に言ってますよ~。

器