今、無駄なことをしていても、何も成し遂げていなくても
人の価値とは
「過去に何を成し遂げたか」
「今、何をしているか」
では、決して計れないと思うのです。
例えば、
生まれてからずっと
他人の世話になり続け、
人の役に立つことを何もせず、
周りの人に迷惑を掛け続けた人でも、
その人が死ぬ直前、その命を掛けて、
世界中の人たちの魂を大きく揺さぶり震わせるような、
一篇の偉大な詩を残すかも知れません。
そんなことはありえない、と誰が言い切れるのでしょう。
誰でも平等に「大きな価値を生み出す可能性」を持って
この世に生まれてきます。
その可能性こそ「基本的な人の価値」であり、
自分を含めた全ての人とその未来を
大切にするべき「根拠」です。
人事評価のようなものはもちろん、
周りの知人に対する自分の評価、
そして自分自身に対する評価など、
人を評価したり評価されたりすることの多い世の中ですが、
「人の自分に対する評価」も「自分に対する自己評価」も
所詮は「近視眼的」で「暫定的」な評価に過ぎません。
「評価」とはいつも「暫定」に過ぎず、
ほとんどの「評価」は「取るに足らないもの」であり、
そんな評価がその人の「存在価値」を表すものではないということを
心の片隅に置きながら、残りの人生を生きたいものです。