ヨヨギ産のブログ

明日になったら、今日は過去。

ブラック環境を求める若者と、そのニーズに応えるブラック企業

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photo by Rinoninha

本来なら「ブラック企業」について語るときには、多面的に語るべきで
いろいろな視点から考えないと本質を見誤ると思うのですが、
その多くの視点の中の「ほんの1つ」というスタンスで
書いてみたいと思います。

ブラック企業を全面的に認める、というスタンスではありませんので
念のため。

「ブラックな環境」は最近発生したのか

最近ほんとに「ブラック企業」ネタが巷にあふれてますね。

理不尽な扱いを受けて大変な方々にはとても同情しますし、
ブラック企業の報道に対して「そりゃ無いんじゃないの~」
「理不尽すぎる!!」という憤りも感じてしまいます。

一方で思うのは、いわゆる「ブラックな=理不尽な環境」というのは、
最近出てきた新しい問題というわけではないなあと思います。

たとえば「えらく厳しい部活」。
強制丸刈り、ちょっと手を抜いてたといって校庭20周ランニング、
素行が悪いと練習時間中ずーっと正座させられたり、
顧問の先生に木刀でケツたたかれたり(実話・・・)

「禅僧の修行」「軍隊」「職人の徒弟制度」「大名と家臣の主従関係」なども、
とっても「理不尽」。

「尽くしているのに・・・」

ブラック企業を批判する視点としては、
「こんなに尽くしているのに、見返りが少ない」ということがあるでしょう。
週に●●時間残業しても、残業代が付かない、とか・・・。

もちろん「企業という場は、労働に対する【正当な】対価を得る場所だ」ということは正しく、そのような考え方から見ると「ブラック環境=ひたすら理不尽なところ」でしょう。

ブラック企業のウソにも慣れてる(ハズ)

「企業に入る前はこんなにツライ会社なんて思わなかった」
ということも、新入生が部活に入るときと同じです。

だいたい部活の勧誘では「サッカーやってるとモテるよ」とか
「柔道やっているとカラダがしまって格好良くなるよ」
とかなんとか、甘い言葉で誘われます。
自分も中学時代厳しいサッカー部に入ってましたが、まったくモテませんでした。
ウソ800です。

それでも部活を続けたのは「まあ、モテないからといって辞めるのもヘンだし、ま、だまされたけどがんばって続けよう」という感じでした。

で、あなたはどうするのか

「理不尽」に見える「厳しい部活」「職人の徒弟制度」も
長い目で見れば得るものも大きいですよね。

自分を本気で鍛えたい人、貴重な経験を得たい人にとっては
ブラック企業こそ最高の環境である」と考えることもできる。

モチロンそれで部活をやめることもできるし、
「いやでも辞めたら負け犬だ!」と思い直して
一生懸命続けることもできる。

甘いウソの言葉で勧誘され、裏切られたことに憤慨するか、
そのウソを許容し、そのブラックな環境を「これもいい経験だ!」と思うか。

それは「選べます」。

職業選択の自由」は憲法で保証されていますし、
労働基準法も整備されているのですから、
この会社に自分はいるべきではないと思ったらいつでも辞められるはずなのですが、
なかなか辞めず、会社に対してNoも言えず、
極限まで働いてカラダを壊してしまったりします。

(会社に対してNoを言えず、自殺するまで働いてしまう、という現象がブラック企業問題の「本丸」だと思いますが、また別の大きな問題なのでここでは触れません)

ブラック環境を求める「無意識」もある

現在、学校の部活も昔ほど理不尽な環境では無いでしょうし、
軍隊も無ければ徒弟制度も無い。
望めばとてもラクに生きられる世の中です。

でも若者の中には(無意識で)タフな環境でさまざまに修行して
強くなりたい、という、孫悟空のような心境を持っている。
そしてカラダのどこかで「理不尽な修行の場=ブラックな環境」を求め、
そんなニーズに応える形で、ブラック企業が存在している。

そんな光景を、世間がどのように捉えれば良いのか、
この国の社会システムとしてそれが最良なのか、ということを
考える局面にきているんだと思います。

NOと言えない若者がブラック企業に負けず働く方法

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